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それはまるで砂時計のように

多崎つくるの話を読んだ。村上氏の作品を読むきっかけは、エストニアへの旅行。ドミトリーで同室になった青年はロシア人で、”息抜き”の為にタリンに訪れていた学生だった。日本から来たと伝えると、「村上春樹の本は読むか?」と聞かれた。「少しだけ。」と答えると、「少し?なぜだ。せっかく母国語で春樹の本が読めるのに、なぜ少ししか読まない?」と、なかなかの剣幕で迫ってきたので、帰国したら読むと約束して、帰国してから本当に大体の村上氏の作品を読んだ。

面白い、面白くない、好き、嫌いといった感想とは別に、村上氏の文章はとても滑らかに私の中に入ってくる。一度ひっくり返した砂時計を止める事が出来ないのと同じで、サラサラと一定のリズム、分量で流れ込んでくる言葉、文章を途中で止める事が出来ず、一気に読み終える。そして、砂一粒一粒は、物語そのものであり、全てが塊となって体内に留まる。

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今、とても大好きな友人と連絡が取れなくなっている。理由は分かっていて、全てが終わった時に、便りが届く予感。何年先かは分からないけど、明日でも10年後でも、私は彼女からの連絡をうけることができるし、その時は、今よりも随分柔軟な考えを持っているはず。

プツン!と、意図としないところで、断ち切られた友人関係は無いけれど、気が付いたら一緒に居る時間が無くなっていた友人がいる。

4、5歳の時のようこちゃん、小学4年~6年までののーち、中学3年間のゆりちゃん、高校生2年間のあきちゃん(これは自分が悪いのだけど)。成長と共に、考え方が変わるのだから、ずっと一緒に居れる事自体が奇跡に等しい。ある程度、人格や思想の基盤が形成されてからの友人とは、付き合いが長い事からも分かる。

みんな元気かな。会いたいと思わないけれど、それなりに元気で、相応に幸せであって欲しい。